ポール・ウィリス『ハマータウンの野郎ども』

ハマータウンの野郎ども (ちくま学芸文庫)
ポール・E. ウィリス
筑摩書房
売り上げランキング: 16821

内容

 本書は、イギリスの男子校生徒の調査を通して、労働階級の子どもたちが、な
ぜみずから進んで労働階級の職務──非熟練の肉体労働へ向かうのかという疑問を
明らかにしている。文化人類学的な参与観察の記録である「生活誌」(第1部)
と、それを解釈した「分析」(第2部)によって構成されている。
 調査は、1970年代のイングランド中部の典型的な工業都市・ハマータウン(仮
名)で行われた。この町のセカンダリー・モダン・スクール男子校に通う労働階
級の「落ちこぼれ(failed)」白人男子生徒12人の集団が対象である。この生徒
集団ひとつに加え、比較対照のための生徒グループ五つについての事例研究も含
まれている。セカンダリー・モダン・スクールとは、11歳から5年間の義務教育
機関で、おおよそ日本の中学校に相当する年齢の生徒が通う。ただし高等教育へ
進学する予定の生徒は、グラマー・スクールなど他の種の学校に編入しているた
め、この学校の生徒は、ほぼ全員が就職を前提としている。
 タイトルにある〈野郎ども(the lads)〉(p.31)とは、調査対象である落ちこ
ぼれの生徒たちの自称代名詞である。彼らは、学校教育を拒み教師に反抗する、
反学校の文化をもち、制度の権威に順応する生徒たち〈耳穴っ子(ear'oles)〉
(p.37)を排斥する。
 第1部「生活誌」では、〈野郎ども〉の観察から、彼ら独自の文化の特徴が明ら
かにしている。彼らは、社会への洞察が鋭く、学校教育の「たてまえ」を見透か
している。彼らにとって、頭を使う精神労働は女々しいものであり、肉体労働こ
そが「男らしさ」の象徴である。彼らは、女性や黒人を差別する。彼らは、資格
取得や試験に興味がなく、安易に職を選ぶ。
 第2部「分析」では、なぜ少年たちは、みずからを幽閉する手労働の世界を選び
取ってしまうのかという疑問に答えるために、少年たちの文化をより深く解釈し
ている。彼らの反学校の文化は、内なる力として、いくつかの〈洞察〉がある
が、同時に〈制約〉も立ちはだかっていて全面的な展開を阻害され、手労働の肯
定的受容へと収束してしまうと分析している。
 〈洞察〉は、学校制度の虚構を見透かしたり、どの仕事も等質であるという労
働の抽象性を見抜いている。しかし、これらの洞察は、自覚性を欠いていたり、
明晰な言語表現のかたちをとっていないことが多い。ウィリスは、この洞察を、
「現在の社会を根底から批判する手がかりとなり、現存のものとは別の社会を創
造する政治行動のための武器となりうるはず」(p.340)と指摘するが、社会変革
のための政治行動へは発展できないとしている。その理由は、端的にいえば政治
組織の不在であり、組織化を阻害する要因が反抗の文化そのものの内にひそんで
いるからである。この集団にとっては、世の常識では劣位に置かれた男らしい肉
体労働こそが肯定される。その価値の転倒が、結果的に中産階級の地位を正当化
することにつながっているのだ。
 また彼らの文化はインフォーマルなゆえに、イデオロギーといった大きな社会
的条件に立ち向かうとき、みずからを例外と思い込み、社会の分析の言葉を持た
ない。
 終章では、就職相談など労働階級の若者に接する実践者に、個人の人格的弱点
に目を奪われず、彼らの文化的な位相を識別するよう実際的なアドバイスが書か
れている。

感想
生活誌について

 第1部の「生活誌」は、〈野郎ども〉の肉声が多量かつ詳細に記録されていて、
ドキュメンタリーあるいは生々しい映画を観ている感覚になった。彼らの物言い
はどれも生気にあふれていて、単純に読み物として面白かった。この生きた文章
は、いわゆるエリート専門家には書くことができないもので、事実に根を下ろし
た説得力があった。
 驚くべきはその調査量だ。調査期間は、次年度が最終学年の2学期から就職後6
か月までのあいだ(p.21)とあるので、およそ2年間である。観察だけでなく、授
業を含む学校生活、放課後の活動に出向き、定期的に集団で話し合う場を持ち、
個別面談も行い、日記も参照している。全科目の授業に生徒と同じように席につ
いて見守り、進路指導の講話はすべて出席し、教員たち、父母全員、職業安定所
職員たちにも面談している。さらに卒業後の職場で肩を並べて働きがなら、観察
し、個別面談している。また同時に、複数のグループを調査している。
 読み進めて気になるのは、どのようにしてウィリスは、この調査を実現したの
かという点だ。取材に対する反発や交渉過程に興味がわくが、それらについては
本書のなかでは一切触れられていない。調査とその継続には、調査者の卓抜なセ
ンスが必要だろう。ウィリス自身が労働者階級出身なので、若者との距離をつか
みやすかった可能性は大きい。とはいえウィリスは、調査対象とは絶妙の距離感
を保っているように見える。若者の個人的な人格の描写に陥ることなく、彼らが
創造する文化を明らかにしながら解説する手法は鮮やかだ。
 ところで、〈野郎ども〉の典型的な行為──無断欠席、おしゃべり、抜け出し、
教師へのからかい、飲酒、喫煙、冗談、ナンパ、ゆすり、いじめなど──は、どれ
も日本の中高生と変わるところがないと私は感じた。彼らの振る舞いが、不思議
なことに日本の不良にあまりにも似ているのだ。

再生産論とウィリスの目線

 本書は、社会的文化的な再生産における従来の理論への挑戦である。再生産の
原因は、従来考えられてきた生徒個人の人格や病理だけではなく、労働階級の子
どもたちの独自の集団文化にあることを暴いている。
 ウィリスの関心は、それだけではなく、対抗的な力が社会的に自立できるかど
うかに向かっているようだ。インフォーマルな文化が、政治運動へ結び付くこと
を期待していることが滲み出ていたからだ。
 生活誌を読めば若者たちへの親しみを覚えるほど、反学校の文化に接近してい
るが、その後の分析では激しい批評へと転換している。この急激な展開には、
ウィリスの労働者階級に対する愛憎なかばする感情が反映しているように感じ
た。ウィリスは、終章に教育現場に向けて実際的なアドバイスを書いている。し
かし再生産の問題は、単に教育の問題としてだけ受け止めてよいのだろうか。本
書は、日本の教育界に大きな影響を与えたというが、教育界にとどめているのは
もったいない本だと感じた。

理解度について

 本書の記述は、終始悲劇的な調子で貫かれている。ここでは、労働階級はまっ
たく出口のない「負け組」に位置づけられている。そこまでイギリスの労働階級
には救いがないものなのかと驚かされた。
 本書冒頭の訳者によるイギリス教育制度の解説は、内容の理解の助けになっ
た。しかし、イギリスの階級社会といった一般的な背景の予備知識がなかったた
め、私の理解は浅く留まっていると思われる。とくにイギリス人の階級への帰属
意識や労働者階級が置かれている状況がどれ程のものか、私には具体的にイメー
ジすることができなかった。イギリスといえば労働者階級を描いた映画が多い印
象があるが、この国の階級社会の程度と関連があるのかもしれない。本書に描か
れているような労働階級は、「総中流」の日本では明確には見えないが、確かに
存在していることを思い起こさせられた。

余談

 最後に余談だが、本書を読むと、私自身の中学から大学時代が思い出される。
私は、ほぼ「最底辺」の高校へみずから進学したので、〈野郎ども〉の反学校的
な文化のありようはよくわかる。当時、なぜ私は進学高校を選ばずに底辺校へ自
ら進学し、大学へ行くことを考えなかったのか。理由はいくつか並べることがで
きるが、本書の観点で言えば、なるほど私も労働者階級の子どもであり、〈野郎
ども〉になりそこねた〈耳穴っ子〉だったのだと納得させられた。ふと当時の同
級生たちの〈野郎ども〉が、いまどんな職業についているのか気になってしまっ
た。